お盆の夜 家族との団欒

本日は算命学の授業を受けに虎ノ門へ。

ボールペン型のボイスレコーダーで、クラスの内容を記録。

隙間時間に復習のため聴こうと思う。

内容を自分で応用できるまで理解したいと思っている。

 

その後、昼寝をして実家へ。

久しぶりに弟と甥っ子に会う。

おじさんの真似事をしたかっため、プレゼントを渡す。

プレゼントをあけるときの期待感に胸を膨らませている表情は純粋で可愛いものだ。それだけで用意した甲斐があるというもの。

子供だけでなく、大人の喜ぶリアクションも何より代えがたいもの。

来月両親とハワイへいくがその足しにと5万円を両親へ渡したのだ。

めったなことでは人を認めない親が、驚いた表情をした。

素直に嬉しかった。

 

わたくしにとってはかなりの出費であったが、金はこのあといくらでも入ってくる。俺はすでに金持ちなのだから。

今日のクレージージャーニーで紹介されていた農業界の風雲児の方。

年間300件以上食べ歩いて市場調査をするのだそうだ。その額500万円以上。

毎日の新しい発見が楽しくて仕方がない。毎回の発見がビジネスにつながりお金へと変わる。未来の自分の姿を見た気がした。

 

今は占いビジネスをするための土台作り。

勉強して自分なりの形をつくりだして、わたくしも様々な業界や世界のもの・人と融合していく。楽しみながらどんどんアイデアが浮かんできて笑いがとまらない。今までの苦しみがこのためであったのかと感謝の日々を過ごす。

そう、わたしはすでに幸せなのだ。

 

お盆の夜、家族で過去の思い出を語り合った。

それぞれの失敗や辛い体験が今に生きている。

そんな内容であった。

火の中に飛び込み楽しむ覚悟

お盆が始まった。

我々ホテルマンにとっては、書きいれ時である。

一般の方が休んでいるときこそ私たちは働かなくてはいけない。

「そこがホテルマンのつれぇとこよ」と言いたくもなるが、言ったところで何も始まらない。

 

楽しむしかないのである。

そう、ピークを楽しんでしまう。

 

お客様の長蛇の列を目の前にして、

一度に2人3人とご要望が右からも左からも飛んでくるその状況を。

 

他のスタッフに不備はないか、トラブルに巻き込まれていないか、目を光らせる、しかも心からの笑顔は保ちながら。

 

辛い状況で、手を抜かずむしろ自ら火の中に飛び込む覚悟で業務にあたるとその姿勢や波動は連鎖し、学生時代の部活動で感じていたあの連帯感や清々しさを得られることに気付く。

 

辛いとき隣で笑顔を絶やさずお客様と向き合っているスタッフ。

「よし、俺も」

「よし、わたしも」

アイコンタクトで「はい、お互い 頑張りましょう!」が伝わる。

 

もちろんその連帯感や波動はお客様にも伝わり、お待たせしたとしても誠心誠意の「お待たせいたしました」は、評価として返ってくるのだと信じている。

 

ピークが終わり「いや~忙しかったですねぇw」

「あのとき〇〇でしたよねぇ!」

これがまたチームの絆を強くする。

あれこれ部下に細かいことは言う必要はない。

私は背中(行動)を見せ彼らを評価し、労う。

それだけでよいのだ。

 

怒りのガテン系お客様への対応

駐車場スタッフの対応の不備でお客様が激怒。

入庫するもサイズがぎりぎりということで「傷をつけたらどうするんだっ」と激高される。

駐車場から連絡が入り、仲裁に入る。

言い分を聞き、怒りを飲み込んで差し上げるのもホテルマンの仕事。

大変でしたねぇ 気の毒でしたねぇ さぞ辛かったでしょうねえ

お客様が感じたであろう情をしっかりと共有する。

お客様の怒りを受けれてなんとか場を収めることが出来たことは収穫。

 

その後、きちんとスタッフ間で情報共有し、滞在中は誰が当たっても一定以上の対応ができる体制をつくり、気持ちよくご出発してもらう。

 

明日もチェックアウト時は、私が対応しお見送りまでしよう。

 

気性が荒い、ガテン系の方はやることをやり、筋を通せばなんとか話は聞き入れてくれるもの。

 

明日もホテルの空気を一定に保つために私は、フロントに立つ。

 

アウトプットの”超”重要性 『学びを結果に変える -アウトプット大全- 』樺沢紫苑書

インプットしたらそれ以上にアウトプットをしないとそのインプットはほとんど意味をもたなくなってしまう。

 

今までただやみくもに読書なり、勉強なり、インプットしていれば自然に成功していくのだろうと希望的観測だけを持ち、効果測定(そのインプットが実生活でどのように活用できるか)を億劫がり、行動していなかった自分として大変な危機感を覚える内容であった。

 

そもそも「自分はアウトプットが圧倒的に足りない」という自覚があり、どのようにそれを改善していけばよいのかという自分なりの疑問を持った読書であったため、こちらの本は即行動につながる機会を私に与えてくれた。

 

①本を10冊読んでアウトプットしない人

②本を3冊読んで3冊分アウトプットした人

どちらが成長していくか。

答えは勿論②アウトプットした人となる。

「アウトプットするといっても、時間がかかるんだよねぇ・・・」

こう考えていたのが今までの私であり、こちらの記事を読んでいる多くの方の感想であろう。

そこの解決案もこちらの本は提示してくれていた。

 

例えば読書(または映画)の感想文。

テンプレートを活用してしまえば良いのだ。

しかも初めは3行でOK。

 

①今まで自分は〇〇であった

②気づき(この本または映画を見てこのように気づいた)

③TO DO(今後はこのように改善していこうと思う。具体的な行動)

 

3行に慣れたらあとは、今の私のように自然と書きたいことを肉付けしていけばそれでOK。

 

時間も5分~10分。

 

目的は良い文章を書くことではなく、「アウトプットを続ける」ということ。

 

最近はNetflixで料理をしながら歯を磨きながらお風呂に入りながら映画を観る機会も多い。(ちなみに私の最近のお気に入りは「男はつらいよ」)

そこで気づいて今後の人生に取り入れられそうな要素はここで記録していこうと思う。

 

風の向くまま 気の向くまま。

 

自分の才能を磨く

本日は夜勤(ナイトマネージャーシフト)

月例会議に出席。

 

30分で発表内容を編集し、発表時は「西の結果で東を唸らせる(自分の籠った世界の中で生み出したもので、世間一般の人を唸らせる)」ということを意識して社長の前で発表をした。(アウトプット)

 

社長や他の上層部の方には、自分はどのように映ったかは定かではないが発表後に自分の発表に触れる場面が多かった為、多少なりとも良い印象を与えられたのではと感じた。

 

これからも頼れるのは己のみだし、自分の武器としている編集能力・伝達能力に磨きをかけていく意味で会議出席の機会を得られている今の環境はとても良いと思う。

 

事実を客観的に正確にわかりやすく且つ自分なりの言葉で表現していく。

これは私の才能。

良い文章に触れる。自分の先生から新しい言い回しを盗む。

色々な表現をストックし、アウトプットして自分のものにしていく。

包丁を研ぐように日々精進していきたい。

 

 

 

調子よく段取り悪い人

調子のいい人

全然根本的なことを理解していない上に

緊急性はないが、いや実際は緊急性があるのだがそれに気づいていなく先延ばしにして溜めてから怒られてから手をつける最高に段取り悪男はどの職場にもいるのではないだろうか

そういうタイプに限ってどうでもいい会話やリアクションにエネルギーを使う。なんでそんな呑気にしてられるのかとどんどん後手になっているのが手に取るように分かるからイライラが発生しそこで私の葛藤が始まるのである。

そういう時ブチギレるのか(昔ならブチギレて関係性なんて無視していた)、淡々と事実のみ私が感じていることを相手に伝えるのか 非常に葛藤が生まれる。感情をストレートにぶつけたい欲とそれを自制する心が格闘を始めるのである。

このご時世 立場のある者としては自制することにならざるを得ないのだが、非常に話しの構成などに頭もエネルギーも使うので疲れる..しかし言わないで飲み込むよりかはまだマシである。

これを上手く正確に相手に伝えられるスキルが今の自分には必要であり、心の安静を保つ上でも身につけなければいけないスキルだと感じている。

ぺらぺら喋るやつ

自分のことをぺらぺらとしゃべり続ける人って職場に必ず一人はいるのではないだろうか。

まったく非生産的で自分が喋りたいから喋っている。人の時間を奪っている、または人の仕事を中断させているとも気づかずに(いや気づいているのかもしれないが)どのみち職場において良い行為だとは思えない。

 

話がおもしかったり興味をそそったりタメになるものであればよいのだが、勿論自分の頭の中である程度考えて絞り出したものではないからくそまずい軽いスナック菓子のような取るに足らない内容なのである。

 

しかしそのような人の特徴として影響力があるから不思議である。

エネルギーがかなり高く思ったことをぺらぺら喋るからよく思われなければ(それが真実であれその人の被害妄想であれ)職場全体に広がり俗にいう風評被害に遭うわけである。

それが怖くて人はその人を注意できず(まぁ犯罪を犯しているわけではないので注意する必要性も難しいところではあるが)放置しやり過ごすというかたちをとる。

心の中では、なんだこいつと思っているから何かあった際にその恨みつらみや嫌悪感はその人の足をひっぱることだろう。

 

私も幾度となくその人の中に自分本位の自己顕示欲の強い自分を見て嫌悪感を抱きその人を攻撃しようと考えたことか。

結局そういう自分もいるよねと認めそういう自分を受け入れて自分の心の器を大きくしていくしかないのである。

こう考えるとその人は自分の成長を促す格好の存在であるとわかるのである。感謝すら生まれるから不思議だ。

 

礼を言う。わたしはもっと強くおおきくなる。